「非識字者」とは、読み書きのできない人だけを指すのではありません。
読み書きはできるけれど、新聞記事の内容を理解できないなど、満足に使いこなすことのできない「機能的非識字」が存在します。
「非識字者」とは、言うなれば「名前の代わりに『X』で署名をする人」のことを指す言葉だった。しかし、いまやその定義では足りない。
非識字者とは、自分の名前は書けるし、Facebookなどで近況をアップロードできるけれど、「社会の中で能動的に活動するため、自身の目的を達成するため、自身の知識や能力を発展させるために、文章を理解し、評価し、利用し、関与していく能力をもたない人」のことでもあります。
最近のOECD(経済協力開発機構)のPIAAC(国際成人力調査)の結果が教えてくれたことですが、2つの異なる非識字が存在。
後者は「機能的非識字」とよばれ、イタリアにおいては10人のうちほぼ3人がこれにあたるそう。
そしてこれは、ヨーロッパで最も高い数字です。
もうひとつの非識字、「機能的非識字」
機能的非識字者は自分で文字を書けるのだから、一見、自立しているように思えます。
しかし彼らは、例えば保険の約款を理解できない。新聞に掲載されている記事の意味も分からないし、文章の要点をつかんだり、感動したりすることができない。図表を読み取ることができない。したがって、自分が生きている社会の構造を解釈し、把握することができない・・・・。
このような分析能力では、複雑さを忌避するのみならず、複雑な出来事(経済危機、戦争、国内もしくは国際政治、金融取引のスプレッド)を前にしても基本的な理解すら得ることができません。
ですから、機能的非識字者は、自身の直接的経験と比較することによってのみ、世界を解釈します。
そして、長期的な結果を考慮に入れた分析を練り上げる能力をもちません。
「非識字者」が増えてくるとコミュニケーションが難しくなります。
・・・ホームページの文章なども伝わらない事が増えてきます。
どのような未来が待っているのでしょうか?